太子快道H  2019年5月8日


近鉄大和八木駅〜橘寺 9.9km / 3時間20分

今井町で約1時間近く足止めを食うハメになりましたが、迷うことなく甘樫の丘までたどり着きました。ようやく軽食休憩なり。ところが、最後になって橘寺への道を誤って、しかも帰りのバス停を見過ごしてしまいました。仕方なく、飛鳥駅まで歩くことに。最後のツメの甘さが、今日も出てしまった次第です。ただ新緑の中を楽しく歩くことができたので、不満などなかったことを報告しておきます。

お礼参りIは、太子町(大阪府)を巡るわけですが、しばし勉強などしてから、5月中には訪問したいと考えています。予定はいつも未定なり。




大和八木駅から出発して、飛鳥川に架かる赤い欄干の蘇武橋を渡りました。少々、久宝寺(大阪府)に似てはいますが、まるで別世界に入り込む感が強いです。なお、ここを訪れるのは2度目です。




今井町の看板です。予め決めておいた通りの道を迷わず、歩きました。




旧米谷家(重文)の台所です。大阪風に言うと、へっついさんが今もなお、イベントの際には活躍しているそうです。




蔵前座敷は珍しいです。





立派な蔵です。





この町一番の豪商の住宅です。今西家に入るためには事前予約が必要ですが、時間的余裕がないので今回はカットしました。(次回があるとは考えていません‥)



信長に仕えた堺の茶人、今井宗及ゆかりの今井町ですが、関連するイベントがあるようです。




称念寺は修復中(今井町は浄土真宗、称念寺の寺内町)





2軒目にお邪魔したのは河合家(酒造業)





今井まちなみ交流センター「夢甍」

ここまで来るつもりはなかったのですが、手前の東向きの道が工事により通行止めになっていたので、どうするか思案中なり。

結局、元に戻り、さらに手前の道を東に進み、こと無きを得ました。




飛鳥川から離れて、赤い列柱のある藤原京遺跡を目指しました。ひょっとしたら、以前に来たことがあるのではないかと期待しましたが、違いました。この池の向こうに赤い列柱が見えています。




ここは藤原京跡ではなく、藤原京遺跡でした。藤原京跡の場合、列柱が1列ではなかったようです。




飛騨児童公園には、まるで船のような遊具があります。





飛鳥川にはたくさんの橋が架かっています。この雷橋(いかつちはし)を渡って、豊浦に向かいます。




右手が小墾田宮跡で、この先まで探してみましたが、その痕跡は見つかりませんでした。左手の豊浦寺跡に向かいます。




これは卯の花(ウツギ)だと思います。





太子山向原寺

豊浦寺跡:百済の聖明王から献上された金銅の釈迦佛を蘇我稲目が朝廷から賜った。稲目は向原の家を浄めて寺としたのが始まりで、日本初の寺とされている。ただし、疫病がはやったことで、物部氏により仏像は難波の堀江にすてられ、寺は焼かれたという。




標高148mの甘樫丘です。長い坂道を立ち止まることなく、登ってくることができました。

前に見えるのが畝傍山、そのバックが二上山です。




丘のすぐ下が向原、豊浦です。蝦夷(えみし)や刀自古郎女(とじこのいらつめ)も、この界隈で育ったのですね。




目の前の山は、耳成山かな。

天香久山はどこなんでしょう?アングル的に、木々のせいで隠れているように思われます。




川原展望台。残念ながら、甘樫丘と同じ眺めです。





芝生広場まで降りてきました。





飛鳥周遊歩道へと続きます。まだまだ上りが待っています。





一度西に向かい、東に戻ってきました。この風景には見覚えと懐かしさがあります。明日香村には、何度もきたことがありますからね。




聖徳太子の愛馬、黒駒の像です。斑鳩宮と政庁(小墾田宮)を行き来していたのですから、馬も従者も欠かせなかったはずです。




橘寺の本堂です。本尊、聖徳太子像にお目にかかりました。しかし、まあ、なんと‥頭でっかちなんですね。はるばる、四天王寺からここまで訪ねて参ったことの報告をしたわけです。



バス停が見つからず、仕方なく、飛鳥駅まで歩きました。 4km / 45分 

遠足ならいざ知らず、思いも寄らない蛇足となりました。